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ビジコンとダンスに関する雑記

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コンテストの為に踊るのか、何の為に踊るのか。審査されることに悪い意味で慣れてしまうと、自分を見失ってしまうように感じる。不条理なことも沢山あるだろう。恐らく、ビジコンだけでなく、甲子園やサッカー、部活やサークルでも、きっとそうだったと思う。

勝てそうだから、流行だから、このスタイルにしよう、という発想が非常に効率が良いのは間違いない。勝ちに拘るならば、きっと、それが正しい。でも、勝っても嬉しくないだろう。よく分からないが、自分自身の信念、核心の部分を曲げてしまったら、勝てたとしても、素直に楽しめなくなっているような気がする。(勝ちに拘るのが信念な人間は素直に楽しめると思う。)

最近、ビジコンもダンスイベントも、多くの参加者や観覧者にとっては、コンテストの結果自体に大した意味は無いのかもしれないと思えるようになった。国内のダンスコンテストで目立った結果が出せない人間が、気付いたらシルクドソレイユに入団していたり、CMでダンスを踊っていることもザラにある。コンテストの結果と、社会での本当の需要は多少は乖離している。ビジコンも、そうなのかは、よく分からない。

仲間について。コンテストの現場で出会う仲間は、非常に大切さを感じる。アドレナリンのピークというか、本気でぶつかった敵味方には敬意を抱くものだ。コンテストの概要自体は、メディアで情報を吸い取ることはできるかもしれないが、現場に出ない限り、それ相応の密度の薄さの人的信頼関係しか構築できない。(だから現場に出ることに億劫にならないようにしたい。)

世の中で上手く立ち回っていく為には、人当たりの良さやバランス感覚が優れた人間のほうが有利だろう。だが、自分自身は、尖った不器用な人間が大好きで仕方がない。めちゃめちゃ好き。というか、正直、立ち回りだけが非常に上手い人間は苦手だ。信念のないチャラ男が嫌い。自分自身も、ミーハーボーイであるので、チャラくならないように気をつけたい。

気分を悪くさせてしまったら、失礼しました。以上、ビジコンとダンスに関する中二病丸出しの雑記、ビジコンに初めて携わった個人的所感の備忘録。死ぬ程、信念を貫いた作品は、結果はどうであれ、意味もあるし、記録には残らなくても記憶に残る。でも、やっぱ、お金とか結果も大切だ。健康で文化的な最低限度の生活という言葉があるが、一度、上がってしまった生活水準を下げるのは難しい。そして、その結果、リスクのとれないツマラナイ人間になってしまう。

意識の高い現場にドップリ浸かるのも刺激的であるし、あえて、脱線してみたり、シリコンバレーとは真逆の場所に突っ込むのも面白いと思う。カンボジアのスラム街に突っ込めという話ではない。江戸川区や足立区あたりの、運転免許更新センター、携帯電話ショップ、スーパー銭湯にもリアルがあると感じる。

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